ヨハン・クライフ 「右足のインとアウト、左足のインとアウト、これで4種類のパスが出せる」|賀川サッカーライブラリー
――74年のワールドカップでオランダは多くのビューティフルゴールを記録した。二次リーグ対アルゼンチンの3点目は、あなたがオランダのペナルティーエリア近くからもち出した攻撃で、わたしの印象に強く残っています。それは、ペナルティーエリア左外あたりであなたがキープし、途中で右にボールを振り、中央線をこえてから、またボールを受けて、アルゼンチンの一人を抜き(ヤサルデだったか)相手のペナルティーエリアの外、左タッチライン寄りの地点から、ファーポストへクロスを送った。それをレップがヘディングで決めた。
「ああ、よく覚えていますョ。あの得点はネ……、わたしが、相手陣内で一人抜いて、次のディフェンダーに向かっているとき、いいチームならゴール前に、誰かがいなくてはいけない。そして、他の誰かがその外にいればもっといい(レップがゴールマウスにいて、ハネヘンが後方からあがってきていた)。常に誰かが第一のコース、誰かが第二のコースのパスを受けるようにしなければなりません。
だから、ハーフラインをこえ、わたしが左サイドに出ていったときでも、右側でボールをもっていたプレーヤーは、もし、わたしにボールを渡さないほうがいいと判断すれば、別の選手にパスを出していたはずです。よいチームというのは、いつでも自動的にこうしたプレーができるものです」
――あなたがゴールのファーポストへクロスを蹴ったとき、レップが当然くると思っていましたか。
「もちろんです。それが彼の仕事なんだから(笑)ちゃんと彼はやったでしょう。あのときのオランダ・チームは、組織的なプレーができた。しょっちゅう話し合いをし、お互いのプレーを理解し、役割を知っていた。だから、もしボールを別のコースへ出していたらニースケンスがシュートしていたでしょう。われわれはお互いに、何をすべきかを知っていました」
――同じ大会のブルガリア戦で、やはり、ヨハン、あなたが左サイドでキープし、ゴール正面へ二人走りこみ、その右側のオープンスペースへ、あなたのクロスが飛んだら、そこへデ・ヨングが上がってきてトルペド・ヘディングで決めたのがあった。
トップ5の休暇スポット
「そう、それも同じことです。誰かがゴール前へ走り、その外へつぎがゆく。サッカーで最も難しいのは三人目のプレーヤーを生かすことです。一人がボールを持ち、他のプレーヤーが、パスをもらおうと走る。このとき三人目が他のサイドを走るのが大事なことです。いいチームというのは、誰もがこのことを知り、実行するものです」
――こういう試合でみせたあなたの中長距離パス、30〜40mのパスは実に正確ですが、あれくらいの長さ、たとえば、左タッチ際から、右へのクロスなどは何歳ぐらいからやっていたのですか。
「ヤングのころ……16歳ごろには、もうあれくらいのパスは通していました。まあ、小さいときから(サッカーを)やっていたから、そのころには、もう、なんでも、かなり上達していましたョ。若いうちは練習すれば、どんどんワザは伸びますからネ」
両足の4つのパート
――あなたのボールタッチはアウトサイドが目立つが、インフロントの使い方も独特ですネ。ドリブルの方向を変える切り返しで足の内側を使う場合には、普通は足の内側先端を使っても、足は横になったままですが、あなたは、足の甲を立てるようにして、インフロントでボールをさわることが多い。
kikuyus家は何で作られていた?
「そう、少ないほうだと思います。(アウトサイドを使ってボールを扱うために足首を立てる感じが多い。そのため、インフロントの使い方などにも微妙なタッチがある。副島を背にして左へゆくとみせかけて右足の切り返しで後方に回転してから、前へ抜け出すときに、この足の甲をたてたインフロントのタッチがみられた)
まず、第一に、右と左の両足(のアウトとイン)でボールを扱えば、四つの違う方向へのプレーができます。第二にフットボールで大事なのは「タイム」です。たとえば、ドリブルしていて自分の前にあるボールを右斜め前へパスしようとするとき、左足でければ、ひとつ右足を踏み出さなければいけないときもある。このとき、右足アウトサイドを使って右斜め前へキックできれば、ワンステップ早くけれるわけです(ドリブルしながら、日本のバックラインの間を、彼は右足のアウトサイドで、すばらしいスルーパスを通した。今度のシリーズで再三みられた彼の得意芸のひとつだった)。
相手のバックスは、わたしの構えから、ここへパスを出すなら左足でくると予測する。それを、ワンステップ早く右足で出せば、相手の意表をつくことになるんです。
左足のアウトサイドで、左斜め前へキックするのも同じことです。両足のアウトサイドを的確に使えることで、ワンステップ分早いチャンスをつかめるわけです」
――そういうワザができて、それを「いつ」使うかが大切ですネ。
「そうです。そのために周囲のことがわかっていなければなりません。たとえば、ミッドフィールドでボールをもったとき、あなたは、ドリブルしますか、パスをしますか、ドリブルするならどこへ、パスをするならどこへ……、普通4コース持っていれば立派です。まあ、わたしは、もっと持っていますが……自分のサイドにいた仲間が前進することがあります。そして、そのあとへ、次の仲間がくることもあります。それを使うパスもあり、また、その仲間が上がってくるまで、ボールを持っている(敵に取られないで)こともあります。そんないろいろな方法のなかから、自分で判断し、プレーするのです。だから、常に状況を知っておかなくてはなりません」
マラドーナはこれからが勝負
タイの銀行口座を持っている人
――偉大なゲームメーカーであるあなたからみて、いま、後継者はいるのでしょうか。78年のワールドカップも、80年のヨーロッパ選手権でも、わたしはゲームメークの面白さという点で不満でした。
「その点が問題です。いまのフットボールには……。1970年代に入って、各国ともサッカーをチームスポーツとして、走ることに重きをおくようになりました。ペレ、ジェルソン、トスタンらの優れたプレーヤーがいて70年のワールドカップに優勝したブラジルでさえ、彼らが退いたあとは、技術を愛するより体力を優先する傾向になった。チームスポーツという点や体力ばかりを強調する時代が続くと、選手は自由――わたしが持っていたような自由――を失ってしまう。
1970年のワールドカップ・メキシコ大会は技術の勝利だった。74年の西ドイツ大会は、70年より少し後退したが、それでも基本的には技術だった。それが78年大会はノーテクニックだった。人は走り、ボールは動くだけで、誰もプレーしなかった。
しかし、こういう点に人は気付きはじめているから、次第に変わってゆくと思います。そのうちに、いい選手が現れてくるでしょう」
――マラドーナに会いましたか。
「実際にはまだ会っていないんです。彼がスペインにきたときは、わたしがアメリカにいて、彼が南米にいるときは(わたしも南米によく行くのに)他にいる、という具合です。だがテレビではみていますよ。
20歳で、若く、将来性がある。創造的で、いまの時点では、一番の有望株です。ただし、これから、あらゆる方面(グラウンドの上だけでなく)から彼にプレッシャーがかかる。うまくやることは難しいが、切り抜けなければならぬ。わたしの経験からみても、これから3年がマラドーナにとっては正念場だと思います」
大切なのは練習、練習、練習
――あなたのようなプレーヤーは長く第一線でやってほしいものですネ。プロ選手をやめるのはいつでしょう。
「これまで、わたしはプレーするときは100パーセントの報酬を求めてきました。そしてそれに対して、自分の100パーセントのプレーをしてきました。(それがわたしのゆき方です)だから、もし、わたしが、もう100パーセントのプレーができなくなったら、引退します」
――スピードが落ちたときとか……。
「年をとれば経験を積むので、必ずしも若いときと同じように走れなくても、100パーセントのプレーはやれる。ゲームのやり方も変わる。この頃のわたしは、数年前に比べると、自分で点を取るよりも、チームを組織することが主になっています。ディプロマッツでもそうしています。自分を総合的にみてもちろん体力的なことも大きい問題ですが……、メンタルな面も左右するし……総合的にみて100パーセントやれるかどうかということです」
――サッカーの選手を目指すヤングへアドバイスして下さい。
「まず最初にプレーを知ることです。足でボールを扱うことを知ることです。そして上手になることです。正しくボールを蹴れなかったら、いいパスやシュートはできません。常に技術を伸ばすように努力を重ねましょう。
第二にフィジカルコンディションです。これは普通には、決心(自分で鍛えようという気持)の問題です。大事なことといえば、20歳くらい、つまり自分で鍛えなければならぬ時期には、マスコミという難しい相手もやってくる(笑)。彼らは少し目につくと、スターだともてはやすが、ちょっと悪くなると、アイツはもうだめだと見出しをつける。いや、あなたのことじゃありません(笑)が、とにかく、若い選手はマスコミにどう扱われようと、毎日『ワーク(働け)ワーク、ワーク』で、練習を続けなくてはなりません(クライフはプロ選手を頭においているようで、マスコミに関しては事情が違うが、それでも日本でも、マスコミ=雑誌も含めて=に騒がれたまま伸びなかった選手の例もある。大選手の忠告をあえて掲載してお く)。
次に重要なのは戦略です。これは、これまでにも話しましたが、いちばん大切なのはチームの仲間を助けるという気持です。チームとしてプレーするためには、それぞれの役割があります。同時に、自分ができる限り、仲間を助けなければなりません。グラウンドの外でもそうです。
とにかくサッカーのいいプレーヤーになるためには『ワーク(練習)ワーク、ワーク』です。毎日練習すれば、毎日、あなたは何かを学ぶことができるはずです。」
(1時間の予定が2時間になったが、彼は、きょうのインタビューは、サッカーについても突っこんだ話ができて楽しい、と最後まで誠実に語ってくれた。まだドリブルをはじめ技術のことや、尊敬するプレーヤー、ディ・ステファノのこと、移籍のこと、などずいぶん話もあったが、比較的、これまでに出ていないこと、若いサッカーマンに大切なことを主にしました。)
(11月13日、神戸オリエンタル・ホテルで)
(サッカーマガジン1981年1月10日号)
0 コメント:
コメントを投稿